大判例

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新潟地方裁判所 昭和47年(わ)126号 判決

主文

被告人を懲役五年に処する。

未決勾留日数のうち二六〇日を右の刑に算入する。

理由

(犯行に至るまでのいきさつ)

被告人は、父甲一郎(本件事件当時六二歳)、母花子(同五二歳)の次男として昭和二三年に出生し、姉二人弟一人の四人きょうだい(兄は被告人出生前に死亡)の間で育ち、昭和三九年に新潟県○○市内の中学校を卒業後、同市内のニット会社で編立工として働いた後、昭和四二年七月ころ、○○市○町×番×号の自宅にメリヤス機械を備え付けて、メリヤス編立業を自営するようになった。

被告人が中学二年になるころまでは、父一郎が○○市役所土木課に勤めていたが、家庭は経済的に貧しく、また一郎は、酒好きのうえに口やかましく、妻子に対して乱暴を働くことがしばしばあったが、昭和三七年七月に一郎が高血圧による脳出血で倒れ、以後半身が麻痺し、それからは母花子の働きで家計を支えていたものの、ますます家計は苦しくなり、父一郎の治療も医療保護に頼ってきた。このため被告人は、昭和三九年に中学校を卒業したとき、大工になりたいという希望を持っていたが、それをあきらめて、すぐに収入が得られるニット会社に就職し、その後収入を少しでもふやそうと自宅でメリヤス編立を始めた。被告人のきょうだいは、長姉と結婚した乙村一が遊び人で仕事もしない厄介者であったが、昭和四五年ころ神奈川県方面に夫婦で出かけたまま音信不通となり、次姉は茨城県で結婚しているが、経済的には必ずしも豊かでなく、また弟は窃盗罪で千葉県内の少年院に入っているという有様で、結局、被告人だけが父母を養っていかなければならない立場にあった。昭和四六年六月ころからは、母花子が染物工場に勤務してわずかな収入を得るようになったが、家計はほとんど被告人の収入におぶさっていた。

父一郎は、脳出血で倒れた後、昭和四一年一一月に糖尿病を併発し、盲膜炎で右目の視力がほとんどなくなり、また手足のしびれも伴うようになった。このように父一郎は身体の自由がきかなくなったが、そのためもあってか、前にもまして口やかましくなり、妻や被告人にあたることも多かったため、家庭内は暗い空気に包まれていた。しかし、被告人は、自分が一家の柱であることを自覚して、父一郎の口のやかましさにも、時に口答えする程度で、よく辛抱をして、仕事や家庭のことも、なにくれとなく父親と相談して事に当ってきた。なお被告人は、数年前、その当時勤めていたニット会社で同じく工員をしていた丙川月子と知り合って、結婚しようという気になったが、月子の親が被告人を婿に欲しいといったのに対して、父一郎が被告人の弟がしっかりするまで三年位その話を待って貰いたいと反対したため、被告人は結局、月子との結婚を諦めた。このときの痛切な気持は被告人の心の底にいつまでも残り、以後、被告人にとって一番触れて欲しくないいわば古傷ともいうべきことがらであった。

このような被告人の真面目な生活振りは、父親やきょうだいと比べられ、近所でもよく出来た息子だと評判となるようになり、被告人の努力によって、被告人の家庭の経済も次第に安定するようになった。

(罪となるべき事実)

昭和四七年四月二三日、被告人は日曜日なので仕事を休み、午前中から○○市内の友人とわらび採りなどをした後、夕方からその友人宅で少し酒を飲んだが、その際、自宅の縁側を仕事場に改造するために友人に頼んで置いた大工が、翌日被告人方へ来ることになっていると聞かされた。被告人は、友人宅を出て、午後九時前ころ、自宅へ戻り、階下六畳の茶の間でこたつに入ってテレビを見ていた両親と、しばらく雑談したあと、午後一〇時ころになって、父一郎に「大工が明日来てくれるそうだ。」と告げたところ、父一郎は、「急にそんなことを言われても困る。大工がくるなら、縁側を片付けておかなければならない。遊んでいる暇があったら、今日縁側を片付ければよかった。」などと被告人を叱りつけ、被告人も「俺の言うことはなんでも反対する。」と言って、被告人と父一郎との間で口論が始まった。しばらくするうちに、父一郎は、声を荒けて、やくざ者のような義兄の乙村一を引き合いに出して、被告人のことを「一と同じだ。」などと言って馬鹿にしたりしたあげく、被告人が最も触れてもらいたくない月子のことまで持ち出して、「お前のような馬鹿野郎だから、女にもふられるんだ。」とか、「向うの親に馬鹿にされるんだ。」などと被告人をののしった。日頃おとなしい被告人も、このことばが勘にさわり、憤慨の気持をこらえきれず、午後一〇時三〇分ころ火鉢にかけてあったやかんを左手にもって、横に振り、中の湯をこぼした後、文句を言っている父一郎を脅かそうとして立ち上った。これを見た父一郎は、「そんなに俺が憎いのか。殺したいなら殺せ。」と言ったので、被告人もますます激昂し、「よし殺してやる。」と口走って、やかんで父一郎の側頭部を左右一回ずつ殴った。激情につかれた被告人は、やかんを手から離して、こんどは、あお向けに倒れた父一郎をまたいで中腰になって、父一郎が着ていたジャンパーの襟を両手でつかんで首を締めつけ、このまま首を締め続ければ父一郎は死んでしまうかもしれないがそれもかまわないと思いながら、それを止めにきた母花子の身体を一回突き離して、なおも首を締め続け、再度母花子に止められてこれをやめるまで、約一、二分の間、父一郎の首を締め続けた。その結果、一郎を同月三〇日午前一〇時一〇分、○○市○○○×番町××××番地にある長谷川病院で、右扼頸を原因とする遷延性窒息によって死亡させるに至った。

(証拠の標目)≪省略≫

(被告人および弁護人の主張に対する判断)

被告人および弁護人は、被告人の殺意を否認するので、この点について判断する。

一、被告人は、司法警察員に対する自首調書や供述調書では、確定的とも見られる殺意をもっていた旨の供述をしている。しかし、これらの供述は、被告人の当公判廷における供述や、検察官に対する供述調書の中の、被告人は父の首を締めたのは、悔しまぎれに夢中でやったのであって、父を殺してやるという気持はなかったし、また首を締めて父がどうかしてしまうという考えも浮かばなかった旨の弁解に照らして、そのままそのことばどおり受け取ることはできない。また次に述べるような、被告人がこれまで父に対して恨みをもっていたこともなく、本件の争いの発端も些細なことがらであり、たまたま一時的な激情にかられて本件の犯行に及んだものではあるが、意図的な犯行とは認められないこと、犯行後医者を呼ぶなどしていることとも考え合わせると、本件で確定的な殺意を認めるには十分でない。

二、そこで、次に未必的な殺意があったかどうかについて検討する。取り調べた各証拠を総合すると、次の事実が認められる。

(1)  被告人は本件犯行まで、父に対して、口答えはしたことはあるが、恨みをもっていたことはなく、また被告人の方から手を出して反抗したこともなかった。その被告人が、本件当夜父に対して手を出したことは、そのときの被告人の憤慨の気持がいかに激しいものであったかを物語るものである。すでに述べたように、被告人の家庭は、父の病気のほか、長姉夫婦は音信不通で、弟は少年院に入っているなど、家庭全体が崩壊の危険さえあったのに、被告人は文字どおり一家の大黒柱となっていた。見ようによれば、被告人が一家のため犠牲を強いられてきたといえないこともない。このことは、とくに丙川月子との結婚話がこわれたいきさつに顕著にあらわれているのであり、被告人がこのことでさぞかし無念の思いをしたであろうことが察せられるのである。それゆえ、この話題は被告人にとっては古傷ともいえるものであり、家庭内の話題としてはタブーとされていたことがうかがわれる。ところが本件当夜、父一郎は、酒をのんで仕事もせず、音信不通となっている乙村一と、被告人とが同じだといい、あまつさえ、丙川月子との結婚話まで持ち出して、被告人をののしったのである。生来内向的、忍従的で、怒りを外にあらわさない被告人が、一時的にせよ、極度の憤怒の気持にとらわれたであろうことは、想像に難くない。

(2)  被害者である父親は、昭和三七年に脳出血で半身が麻痺して以来、身体が不自由で、しかも老齢で、被告人から暴行を受けた場合、ほとんど抵抗できない状態であったが、このことは、同じ家で起居を共にしている被告人は十分認識していたことと思われる。

(3)  被告人の父親に対する暴行の内容は、まずその場にあったやかんで父親の左右側頭部を一回ずつ強打したうえ(これによりやかんには左右にかなり大きな凹みができている)、あおむけに倒れた父親にまたがって、着ていたジャンバーの襟を両手でもって一、二分の間首を締め、その間、止めに入った母親をつきとばして首を締め続けていることが認められる。

(4)  首を締めた力の程度については、鑑定の結果、被害者である父親の甲状軟骨の左右上角が骨折しているが、このような結果を生じさせるためには相当強度の力が加えられたものと推認される。

以上の各事実に、被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書(自首調書を含む)を総合すれば、被告人は義兄や丙川月子のことを父親から言われたことに激昂のあまり、母親の止めるのを振り切って、殆んど抵抗できない父親をやかんで側頭部を強打したうえ、甲状軟骨の左右上角を折る程度の力を入れてジャンパーの襟をもって締めたのであり、当時の状況からして被告人は、未必の殺意を生じていたものと認めるのが相当である。ただ、被告人の本件犯行を犯すに至った直接の動機が、義兄や月子のことを言われたことであるので、一般にはやや殺人の動機としては弱いきらいがないではないが、すでに述べた本件に到るまでのいきさつに照らせば被告人の場合には、一時的にせよ極度に憤慨した理由が認められるのであって、必ずしも未必的な殺意を認定するのに妨げとはならない。また犯行後被告人が医者を呼びにいって父親の生命をとりとめようと努力した行為があるが、これも犯行時の激昂がさめ、冷静になれば、それとは全く異なる行為にでたとしても別に不思議とはいえない。

以上により、被告人には本件犯行当時、確定的な殺意までは認められないが、未必的殺意があったと認めることができ、被告人および弁護人の主張は理由がない。

(法令の適用)

一、検察官は、被告人の判示行為は刑法二〇〇条の尊属殺人罪に該当するので、同法条を適用すべきであるとするのに対して、弁護人は、右規定は法の下の平等の原則を規定した憲法一四条一項に違反し無効であると主張するので、まず、この点について判断する。

(一)  憲法一四条一項は、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と規定しており、近代の個人主義、平等主義の原則にもとづき、法令を適用する場合は勿論、立法においても国民を均しく平等に取扱うことを要求し、「差別」することを禁じている。しかし、同条項は、完全な意味での形式的、絶対的平等を謳っているのではなく、憲法の精神に反しない合理的理由に基づく「差別」までも一切禁止する趣旨ではない。

(二)  ところで、刑法二〇〇条は、「自己又ハ配偶者ノ直系尊属ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ処ス」と規定し、刑法一九九条の普通殺人罪の法定刑が死刑又は無期もしくは三年以上の有期懲役刑であるのと比較してみると、殺人の被害者が犯人の直系尊属であるときは、他の者が被害者であるのと比べて犯人を厳しく処罰することを刑法は要求している。このことは、尊属を一般人や卑属と比べて厚く保護することに帰し、憲法一四条一項にいう「差別」に該当するということができる。

(三)  そこで、刑法二〇〇条の規定が合理的根拠に基づく差別といえるかを検討すると、同条は、「法が子の親に対する道徳的義務をとくに重要視したものであり、これ道徳の要請にもとづく法による具体的規定に外ならない」といえよう。

問題は、個人主義と平等主義を基調とする現憲法のもとにあっては、「子の親に対する道徳的義務」といっても、それは、親子相互に人格を認めあうことを前提としたうえで、はぐくみ育ててくれた親に対する、子のおのづからなる敬愛の念を基礎とするものでなければなるまい。これに反して、子にとって、親は、遙かに仰ぎ見るべき絶対的な存在であるとし、かつて「父は父たらずといえども、子は以て子たらざるべからず」といわれたように、子は一方的に、ひたすら親の足下にひれ伏し仕えるべきだというような考え方は、現憲法下において承認できるものではないと、いわなければならない。

そこで、刑法二〇〇条の規定を見ると、そのたてまえは、尊属殺人犯は、死刑によって生物的にその生命を抹殺するか、無期懲役刑によって永久に社会から隔離し、社会的にその存在を抹殺するか、そのどちらかである。これは、立法者が尊属殺人犯のような、ともに天を戴くことのできないような大罪を犯した者に対しては、犯人の社会復帰を原則として考えていない旨を宣言し、国民道義の頽廃に対する強い警告としているものだといえよう。また同条の規定は、刑の具体的適用に当っても、たとえ尊属殺人犯のうちにどれだけ憫諒すべき事情があろうとも、刑の執行猶予の言渡を絶対になしえないものとして、個々の事件の具体的情状を無視した形で、厳格主義を貫いているのである。これに反して、通常殺人犯の場合は、法定刑のうえで当然執行猶予に付しうることとされている。そこで、たとえば、無責任な親が、慈愛をもってはぐくみ育てるべきわが子を殺害するような、世上ままある場合についても、この通常殺人罪の規定に委ねられることとなり、これを尊属殺の場合の厳格さと比較対照すべきであろう。

このように、刑法は、尊属の生命の重さと、卑属ないし一般人の生命の重さとの間に比較を絶した価値の相違を認めている。もともとなんぴとの生命であろうと、均しく「一人の生命は、全地球よりも重い」とされるのであるが、尊属の場合は、その上に加える万鈞の重みを以てしているということができよう。このような差別は現憲法の下で認められる、親子相互の人格の承認を前提としたうえで、子の親に対する道徳的義務と、親の子に対する道徳的義務を比較考量し、後者よりも前者が相対的に重いと考える思想とは、全く異質の見解に基づいているものと考えざるをえない。すなわち刑法二〇〇条の規定は、尊属をただ尊属であるために尊いという、現在の憲法の下で否定された、封建的家族制度の所産である身分上の道徳を基においた規定としか考えられない。さらに一言すれば、現憲法においても特別な地位を享有している国の象徴に対し危害を加える行為が、普通殺人罪に該当するのに対して、現憲法においては否定された身分上の道徳による尊属殺人罪の特別規定が存在することは、余りにも不均衡といわなければならない。

(四)  以上検討したように、刑法二〇〇条の尊属殺人罪の規定は、現憲法下で容認されるような合理的根拠に基づくものではなく、古い身分関係を基調として、尊属を厚く保護する不合理な「差別」の規定であり、憲法一四条一項の法の下の平等の原則に違反していると言わざるを得ない。

以上により、刑法二〇〇条の尊属殺人罪の規定は違憲、無効であり、弁護人の主張は理由があり、被告人の判示行為については刑法二〇〇条ではなく、刑法一九九条の規定を適用すべきである。

二、被告人の判示行為は、刑法一九九条に該当するところ、所定刑のうち有期懲役刑を選択して、その刑期の範囲内で、被告人を懲役五年に処することとし、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち、二六〇日を右の刑に算入する。訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件犯行は、些細なことに端を発し、憤慨のあまり自分の父親を殺害した痛ましい事案である。すでに述べたとおり、被告人は父の病気や姉夫婦の音信不通、弟の少年院収容というような不良な環境の中にあって、一人で父母の面倒をみながら、これまで悪い道に入らず、ひたすら一家の大黒柱としてメリヤス編立の仕事に励んできたものであり、口やかましい父親にも大した反抗もせず、親を親として立ててきた。このような被告人の生活態度に近所の評判も大へん良かったのである。これに反して、被害者である父一郎はもともと口やかましい人であったが、病気で半身不随になってからは一層それがひどくなり、家族に当り散らしてきたことが窺われる。本件においても被告人に対していわれのない文句をつけ、ひいては被告人に言うべきでない月子のことや義兄のことまでも持ち出してののしったため、普段はおとなしい被告人を激怒させたことに発したのである。犯行後被告人は自首し、心底から反省をしていることが認められ、被告人が再度罪を犯すおそれは殆ど考えられない。これら被告人に同情すべき点は必らずしも少なくない。このようなこともあって、残されは家族や近所の人達も、むしろ被告人に同情を寄せている。また家庭では被告人が一家の大黒柱であり、残された母親も被告人の手を必要としているともいえる。

しかしひるがえって考えると、本件で被害者である父は口ではいろいろ悪態はついたが、被告人には何の手出しもしていない。そればかりでなく、半身不随の病人であり、殆ど抵抗するすべももたない老人である。この父親である被害者に対して、血気盛んな被告人が一時の激情にかられたとはいえ、未必的な殺意をもって殺害行為に出るがごときことは到底正当化する余地のないものである。本件の態様は決して犯情の軽いものではなく、その結果はあまりにも重大であるといわなければならない。このように考えると、被告人の責任は重いものがあり、被告人に有利な情状をできるかぎり考慮に入れても、主文どおりの実刑はやむをえないものと考えた。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤野豊 裁判官 渡辺達夫 小松峻)

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